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医局の歴史

医局の歴史

当耳鼻咽喉科教室は大正9年9月16日(1920)小此木修三講師の赴任に始まりましたが、耳鼻咽喉科の診療開始は大正9年10月15日で、この日が開局記念日とされています。大正13年7月に小此木講師は教授に昇進し、昭和3年の第32回大日本耳鼻咽喉科学会(北海道帝国大学)にて「回帰神経麻痺」という宿題報告を行いました。

次いで昭和9年7月西端驥一教授が就任しました。西端教授は昭和11年の第40回大日本耳鼻咽喉科学会(京都府立医科大学)で「篩骨蜂巣の診断と治療」と題して宿題報告を行いました。
昭和23年2月、米国ペンシルバニア、ジェファーソン大学を卒業した小野譲先生が招聘され、昭和24年6月に客員教授となりました。当時、日本の気管食道科はドイツ流の操作を踏襲していましたが、小野教授は米国ジャクソン先生の技術を日本中に広めました。昭和24年11月に日本気管食道科学会が創立され、小野教授が初代会長となりました。
昭和26年4月医学部北里講堂にて西端教授会長のもと、第52回日本耳鼻咽喉科学会総会が行われました。また同時に日本気管食道科学会も北里講堂に隣接する医学部3号館で行われました。昭和32年ワシントンで開催された第6回世界耳鼻咽喉科学会に西端教授は日本代表として出席し、東洋の代表として挨拶を行い、「中耳炎は側頭骨炎なり」として病理に関する講演を行っています。

昭和36年11月西端教授は名誉教授に、同年12月鈴木安恒助教授が3代目主任教授に昇進しました。鈴木教授は昭和38年の第64回日本耳鼻咽喉科学会総会(大阪大学)において「耳鼻咽喉科領域におけるレイリー現象」と題して宿題報告を担当しました。

昭和49年4月斉藤成司教授が就任しました。斉藤教授は昭和52年の第78回日本耳鼻咽喉科学会(九州大学)で「発声機構の基礎的研究および喉頭内腔への臨床的アプローチ」と題して宿題報告を行いました。また、昭和57年11月「発声機構の基礎的研究及び音声外科の開発とその臨床応用」で義塾賞を受賞しました。昭和59年日本耳鼻咽喉科学会に専門医制度が発足し、その年の5月に斉藤教授は第85回日本耳鼻咽喉科学会総会会長を務めました。昭和62年斉藤教授は喉頭研究に関する国際的に最高の栄誉であるグールド賞を受賞しました。

昭和62年4月斉藤成司教授退任後に神崎仁講師が主任教授に就任しました。神崎教授は平成2年の第91回日本耳鼻咽喉科学会(東京慈恵会医科大学)で宿題報告「聴神経腫瘍の外科的治療」を担当し、同年第35回日本聴覚医学会会長を務めました。さらに平成8年の第6回日本耳科学会会長、イタリーのバリでの第25回国際聴覚医学会会長、平成12年の第101回日本耳鼻咽喉科学会総会会長を務め、平成7年から4年間は慶應義塾大学病院長に就任しています。

平成14年4月、神崎教授の退任後、小川郁講師が6代目主任教授に就任しました。小川教授は平成17年第50回日本聴覚医学会総会会長、平成24年第64回日本気管食道科学会会長を歴任され、平成25年の第114回日本耳鼻咽喉科学会(北海道大学)で宿題報告「聴覚異常感の病態とその中枢性制御」を担当しました。また、平成27年の第116回日本耳鼻咽喉科学会総会会長を務めました。

令和3年4月、小川郁教授の退任後、小澤宏之講師が7代目主任教授に就任されました。令和3年9月には教室創立100周年の記念式典を開催し、現在に至っています。

歴代教授

  • 小此木 修三

    初代小此木 修三

  • 西端 驥一

    二代西端 驥一

  • 客員教授小野 譲

  • 三代鈴木 安恒

  • 四代斉藤 成司

  • 五代神崎 仁

  • 六代小川 郁

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